自我やエゴを輝かせ生命エネルギーを高めよう

思想/哲学

自我やエゴを輝かせ生命エネルギーを高めよう

人間の生命には、宇宙生命から 分離・独立したいという 分離的な欲求と、
宇宙生命に還りたいという 帰属的な欲求があります。

現実的な願望が強い時は、分離的な欲求が・・・
精神性に関心が向いている時は、帰属的な欲求が強く出ています。

そしてスピリチュアル性を開花させようと思ったり、精神世界を知りたいと思う時、
分離的な欲求の元となる、自我や エゴを手放そうとする場合が よくあるように思います。

果たして、これはよいことなのでしょうか?

結論から言えば、よくないと思います。
むしろ自我やエゴをより輝かせ、高めていくべきですね。

自我とエゴは、哲学や心理学などの概念で、解釈も様々です。
目に見えない世界の 代表ですから、明確な定義はできないのでしょう。

その前提で、あえて語れば・・・
自我とは、自分を自分、自分は 「他」とは違うと認識する 心の働きです。
「他」とは、他者はもちろんのこと、周りの環境なども含めます。
本来は宇宙生命と同一である 自分の生命を、「個」として認識する心と捉えていいでしょう。

エゴは、本来は自我と同じ意味です。
ただ一般的には、エゴイズム、自分の利益を重視する心と、少し悪い意味で使われることが多いようです。

こう考えていくと、スピリチュアル性を開花させ、宇宙生命に近づこうとした場合、
自我を手放せばいいんだ、という方向に走っても不思議ではありませんね。

自我とは自分を意識すること。意識の主な力は 考えることです。
つまり、考えるのを止めれば近づけそうに思えますね。

だから人類は、心を無にするための修行を、いろいろ試してきたのだと思います。
要は一種のトランス状態になればいいので、近代では、よろしくない簡単な方法がいくつか頭をよぎります。

出家をしたばかりの釈迦が、初期に試した修行が、当時のインドで流行っていた 苦行です。
肉体を徹底的に傷めることで、思考を止める。心の中の 煩悩を追い払うことを目的とした 修行法ですね。

でも最終的に、灰身 滅智=身を焼いて灰にし、智慧を滅すること。煩悩を完全に捨て去るには、死ぬしかないではないか!それでは全く意味がない!と、苦行を完全に否定してやめたのです。

こういう歴史がたくさんあるのにも関わらず、自我やエゴを消すことを勧める思想が、未だにあるのも事実です。

さて、人間の心の仕組みとして、仏教では、阿頼耶識と 末那識の存在が説かれています。

阿頼耶識は、量子論でいう ゼロポイントフィールド、近代神智学の概念 アカシックレコードなどのことと考えられます。
すべてが生まれ、すべての記憶がある場所ですね。

末那識は、宇宙生命である自分を「誤認」して、自分は自分であると意識するための 心の働きです。
つまり 末那識があるから、人間は自分という 「個」を意識できるのです。
そして自我が芽生え、自我が育っていきます。

なぜこんな心の働きがあるのでしょうか?
単純に、必要だから、あるのだと思います。

宇宙生命は「生命」です。生命である以上、進化 成長を願っているはずだと思います。
完全な「無」からは、何も生まれません。
何も無いところには、成長すらありません。

だから「変化」が必要なのでしょう。
量子の世界を学ぶと、素粒子の世界は、常に「変化」し続けていることがわかりますね。
私たち人間は、宇宙生命にとって「変化」を生み出すための働き。
だから、阿頼耶識の中から、末那識が生まれ、末那識から意識が生まれるという働きがあるのでしょう。

私たちは、宇宙生命の働きとして、自我を輝かせていく必要があるのだと思います。
これを捨てることは、人間としての役割を捨てることに等しいとさえ思います。

自我を捨てようと試みた結果、正常な心を壊してしまうのは、この為でしょう。
そして過去世リーディングを学べば、この体験による心の傷を持つ人が、少なくないことも見えてきます。

もう一つ大切なポイントがあります。

この現実世界を創っていくのは、私たち人間の 意思の力です。
この力をコントロールする主体こそが、自我なのです。

人間には、こうなりたい、こうしたい、と思う気持ちがありますが、
同時に、それを妨げる欲望や迷いもあります。
無意識の中には、宇宙生命としての意思があるはずですが、普段からは気がついていません。

時には悩み、時には迷うのが人間です。
しかし、意識の上の私と、無意識の中の私が一致した時、
「こういう未来を創るんだ」という 意思から、強い「意志」「決意」が生まれます。

言うまでもなく、この意志をコントロールするものこそが「自我」なのです。

占星術においては、太陽が自我の象徴。
太陽は生命エネルギーです。
つまり自分の自我を高めていくことが、生命エネルギーを高めることになります。

生命エネルギーは、何もせず高まるものではありません。
例えば、前向きな時は、生命エネルギーは高まります。
逆に、後ろ向きな状態の時は、生命エネルギーが落ちていくはずです。
気持ちが前向きか、後ろ向きかは、思考がコントロールしています。つまりは自我の力です。

子供の頃、好きでたまらないものを、楽しくて、楽しくて、いつまでも続けていた時・・・
青春時代、自分の夢を追い求めて、全力で熱中していた時・・・
そして何かの夢を達成して、心からの満足に包まれた時・・・

きっと、誰の目にも 眩しいほど、まさに 太陽のように輝いていたはず・・・。

生命エネルギーは、自我が高まることで、より強い光を放ちます。

太陽は、自らが輝くことで、周りにエネルギーを与える存在ですね。
この光が、周りの人を照らした時・・・
「私も輝きたい」 という想いが伝わるかのように、周囲も輝き始めるのです。

私たちは、自我を手放したり、抑えてはいけないと思います。
むしろ自我をより輝かせ、自己実現の道に進んで欲しい・・・

それが、人間として生まれてきた、すべての人に共通する、人生の目的なのではないでしょうか?