ハイヤーセルフの起源と概念

思想/哲学

ハイヤーセルフの起源と概念

目に見えない世界の、不思議なもの。
目には見えないけれど、確かにあると感じるもの。

人は、目に目えない 何かの力を、自分たちがイメージできる形に置き換えて 理解しようとします。
神などの存在も、人の形を模し、いわゆる 擬人化されていたと考えられます。

日本は、小さい島国で、四季が豊かなため、多彩な自然に恵まれていました。
だから人の力の及ばない、自然の現象を「神」と捉え、数多くの神が信じられていました。
動物などを 模した 神も、たくさん生まれました。

でも、キツネを「神のような不思議な力の象徴」として捉えるか、
「キツネが神」 と捉えるかでは、
意味が全く異なってしまいます。

そして人は、何をどのように信じるかによって、
生き方そのものが変わってくるため、
結果として、人生も大きく変わってしまうでしょう。

さて、スピリチュアルの世界では、ハイヤーセルフという用語をよく聞きます。
ハイヤーセルフとは、どういう存在なのでしょうか?
ハイヤーセルフと繋がるとは、どういう状態をいうのでしょうか?

今回は、ハイヤーセルフの起源と概念から考察していきましょう。

一般的に、ハイヤーセルフとは「高次元のもう一人の自分」と認識されているようですね。
3次元の現実世界に生きている私の他に、もう一人の私がいて、
ハイヤーセルフに繋がることで、ハイヤーセルフの声を聞き、色々なことを教えてくれる存在 だそうです。

私の周りにも、日常的にハイヤーセルフと会話していると言っている人は、何人もいました。
訓練すると誰でもできるようになる、ということで、
私自身もレッスンを受けたことがあります。

しかし私は、腑に落ちない何かの違和感をずっと感じていました。
自分自身の実感からもそうなのですが、
少なくても、私の周りにいた 自称「ハイヤーセルフと繋がっている」人は、
客観的に見ていた場合、とても正しい方向に導かれているとは思えなかったからです。

改めて、ハイヤーセルフの概念や根拠を探してみても、
確かなことが、なかなかわかりません。
「意識と無意識」などに関しては、それなりの根拠もあったり、科学的な視点での解明も進んでいるように思えますが、
「高次元にいる、もうひとりの自分」に関しては、あまりにも、あやふやな印象しか受けません。

強いていえば「ハイヤーセルフ」という言葉の起源は、
18世紀に誕生した、近代神智学にあるようです。

神智学協会の設立者の一人で、
近代神智学の祖とされる ヘレナ・P・ブラヴァツキー
の著書「神智学の鍵」の中で語られたものとされています。

なんか、近年のスピリチュアルといわれるもののルーツを辿ると、
そのほとんどが、この近代神智学に由来していることがわかってきますね。
近代神智学の特徴を、もう少し見ておく必要がありそうです。

そもそも神智学とは、キリスト教の解釈を元に、神や世界の真実を探ろうとして生まれた哲学、という位置付けになります。
宗教がより実践的なものであるのに対し、神智学はより学問的なものと考えられます。

近代神智学は、近代科学の誕生などの背景のもと、
キリスト教の概念を否定し、インドの思想を積極的に取り入れ、インドで発展しました。
ここでインド哲学やヒンドゥー教、仏教などを始めに、
古今東西の様々な哲学、思想が集まってできた 哲学思想といえるでしょう。

ブラヴァツキーの神智学には、輪廻転生やカルマの思想も導入され、独自性の高い 「霊的進化論」として発展したようです。

近年のスピリチュアル思想では、
キリストの「神」の概念と、東洋の、輪廻やカルマ思想が融合し、
人間の「魂」が輪廻するという考え方が 王道のようです。

さて、古代インド哲学の中でも、輪廻やカルマの概念には様々な捉え方がありました。
仏教では、釈迦が、当時の人々が理解できるように、伝統的な概念を崩さず、段階的に法を説いたため、
経を「言葉どおり」に捉えたら、経により意味が違ってきます。

釈迦の本来の悟りでは、
過去世、現世、未来世という 流転する生命観を説いていますが、その本質においては、今という瞬間の生命の中に、過去も今も未来も、同時に存在していると説かれていることがわかります。

これを最先端の科学で捉えた場合は、現実世界を生きる私たちは、過去・現在・未来という時間軸を感じていますが、
これを四次元以上の視点で見た場合、過去も未来も、今という時間と共にあることが判明してきており、
まさに、仏教の視点と一致していることがわかります。

ここで次元について、簡単におさらいしておきましょう。
例えば、「私」をカメラのレンズを通し、スクリーンに映し出した場合は、二次元の私が映ります。
この私は、私ではない別の存在ではありません。あくまで二次元に投影された「私」です。

同じように、三次元の現実世界に生きる私も、心の中という高い次元の視点から捉えた私も、
どちらも「私」、同じ私でしかないのだと思います。

見ている「次元」という視点が違うだけです。

ここに科学と仏教の一致点を見出すことができますね。

これを人間の生まれ変わりで見た場合は、どうなるでしょうか?

人間は、魂と肉体で構成されており、
「死」 によって 肉体が滅びても、魂は生き続ける。
魂の世界でも、魂は生き続けており、また新しい肉体に入ることで、人間として生まれ変わると。
こう考えるのが、近代スピリチュアルの王道に思われます。

仏教においては、人間の生命は、そもそも宇宙生命と同一であると捉えています。
近代的にいうところの「ワンネス」の概念になりますね。
宇宙生命を広大な海に例えた場合、人間は「波」のような存在。
波は海そのものであり、海の「働き」についた名前でしかありません。

だから人間は死んだら、いわゆる魂は 宇宙生命に溶け込み、一体化します。
水面に現れた波が、海に溶け込み、またすぐに波として現れてくるように・・・
人間も、宇宙生命の中から、また新しい命として、生まれ変わるという捉え方です。

輪廻転生といっても、意味が全く違いますね。

こう調べていくと、近代スピリチュアル思想の多くには、
「魂不滅論」がベースにあることが見えてきます。

私の魂は、私という肉体が消滅しても、魂の世界では、永遠に生き続けているという考え方ですね。
言い換えれば、永遠の 「個」 の存在です。

つまりハイヤーセルフとは、魂の世界にいる 「私の魂」のことを言っているのではないかと推測できますね。

現実世界を生きている 私の思考が、魂と繋がることで、
本来の「私」からの言葉を聞くことができる。
これが、ハイヤーセルフと繋がることの意味になるのでしょう。

さて、こうして考察してみると、ハイヤーセルフの概念は イメージできてきましたが、
様々な疑問が 浮き彫りにもなってきたように思えます。

ハイヤーセルフの思想の持つ影響とは・・・

ハイヤーセルフは、高次元の もう一人の私。

ハイヤーセルフの言葉の起源は、近代神智学にあり、
現代では、魂は、高次元の魂の世界に 生き続けていると 考えられている場合が多いと思われます。
この魂の 本体みたいなものを、ハイヤーセルフと捉えているのではないでしょうか?

近代神智学では、キリスト教的な 「神」の概念を否定し、
インド哲学などを積極的に取り入れていきました。

古代インド哲学であるヒンドゥー教には、ブラフマンと アートマンが説かれます。

ちなみにインド哲学とは、古代インドから続く 思想の総称であり、
インドには哲学と宗教の境があまりないようです。

ブラフマンとは、宇宙を支配する 根本の原理。
アートマンとは、意識の最も深い内側にある、個の 根源の原理。

仏教の中で、ブラフマンは 梵天という名で、釈迦と対話したことで知られていますが、
あくまで擬人化した表現であり、釈迦が自身の「生命」と対話していたことが明確にされています。

ウパニシャッド哲学では、ブラフマンと アートマンは、同一であるという、梵我一如 が説かれています。
今でいう ワンネスに通じる概念ですね。

そして、宇宙の原理であるブラフマンが永遠不滅の存在であるならば、
アートマンも永遠に輪廻し続けることになると、展開されます。

ここで、やはりアートマンが、全体であるブラフマンから、分離独立した存在のように伝わった思想もあっただろうと思われます。
人間の魂であるアートマンは、永遠に存在し続けるもの。
死後も、どこかの世界で、魂は永遠に生き続けているのだと・・・
こうした言葉のままの世界観が、一人歩きし始めたのだと思います。

もはや言うまでもなく、ハイヤーセルフとは、アートマンのことではないでしょうか?

だから、ハイヤーセルフといわれるものの存在はあるとしても、
ハイヤーセルフもまた、人間が頭で理解しやすいように、本来の意味から分離し、一人歩きしている概念ではないかと考えます。

一般的に、ハイヤーセルフとは、私とは別の、もう一人の私と思われています。
高次元にある魂が、魂の本体であるならば、
現実に生きている私は「本体ではない」と捉えられるようになります。

実際にハイヤーセルフを語っていた知人たちも、正しい概念を理解していなかったのかもしれませんが、
少なくても彼らは、魂の世界にある 本体の価値を尊重するあまり、
現実の私を 軽く捉えているように感じました。

自称 ハイヤーセルフと繋がっているという 周りの人たちから感じていた違和感は、
ここだったのかもしれません。

肉体は借り物に過ぎず、この人生も一時的なものに過ぎないと捉え始めます。
魂は永遠であり、悩みも苦しみもない、完全な自由な世界にいると・・・
いわゆる「天国」のイメージを抱き始めます。

こうした思想を信じるようになると、
確かに死への恐怖は無くなるかもしれません。
しかし、現実を精一杯生きるという気力も薄れていき、
現実の課題から逃避したり、自ら大切なものを放棄し始めたりするようになりかねません。

実際に、現実への執着を捨てるという言葉をよく口にし、
人間関係や仕事、お金などを断捨離するパターンも見てきました。

いわゆる「魂不滅論」に偏り始めると、
「個」の存在を、強く感じる方向にいくのではないかと思います。

人間の未熟な心は、自身を個の存在として意識しています。
しかし心が成長し、全体としての生命、いわゆるワンネスを思い出していくことで、
人は他者を大切に感じるようになり、周りの人々の幸せを、世界の平和を願うようになっていくと思います。
全体を意識した上で、個の使命を感じていきます。
これが生命の成長なのだと思います。

しかし「個」 に対する意識が過剰に強くなれば、た の存在を「た」 と捉える意識も高まります。
ここに他者との分断の心が芽生え始めます。

そもそも一般的なハイヤーセルフの解釈自体が、
自分とは、別の自分がいると捉えており、自分さえも「た」 の存在に分けているかのようです。

だから、ハイヤーセルフと繋がることのできない人を、劣っていると感じてしまったり、
他者は、自分とはあまり関係のない 「他」 の存在になってしまうのでしょう。

仏教では、すべての悩みや苦しみを始め、すべてのことが自分に原因があると捉えます。
この地球の、日本という国の、今の時代に生まれてきたことも、自分が選んだことと捉えます。
すべてが自分だからこそ、自分が変われば、世界も変わると受け止め、
自己の成長に目を向けていくようになるのだと思います。

でも 「他」 を強く意識しすぎると、責任すら 「他」 に求めてしまうことになりかねません。
極端な場合、「自分は正しいんだ」「悪いのは周りだ」と感じてしまい、
自分が成長しようとしません。結果として、好転するべきものまで好転しない傾向が強くなるように思います。
未来の可能性を、自分で潰してしまっているようなものですね。

この「魂不滅論」の原型のような思想は、紀元前のインドにも存在しており、
釈迦は、これを明確に否定していたようです。

では、ハイヤーセルフと対話しているという人は、何と対話しているのでしょうか?

ハイヤーセルフと繋がるとは・・・

高次元の もう一人の私、ハイヤーセルフ。
ハイヤーセルフと繋がるとは、どういうことを言うのでしょうか?

本来ハイヤーセルフとは、全体である宇宙生命の中から、生まれた 個の生命 という概念に思われます。

しかし、本来は宇宙生命と 同一の生命である 人間が、あたかも宇宙生命から 分離独立した 別の生命体であると 認識してしまうように、
ハイヤーセルフもまた、全体から分離した、魂の人格のようなもの と捉えられていると思われます。
それだけではなく、現実世界を生きる「私」からも分離した、別の存在との認識が、
「高次元のもう一人の私」という言葉に、象徴されているようです。

もちろん、目に見えない世界のことなので、正解などわかるはずがありません。
でも、何をどのように信じるかによって、人生の生き方そのものに違いが生まれるのは事実でしょう。

さて人間の思考は、様々な情報、人によって決められたルールや常識、
こうであらねばという 価値観や、こうしなくてはという 義務感などが 複雑に絡み合っています。

これらのノイズを全て取り除けば、単純に「好き」「嫌い」という心が残るのではないかと思います。
だから思考を止め、心からの反応だけに意識を集中すれば、
自分の心が、好きか嫌いか、YESかNOなのかが、わかるようになるのではないでしょうか?

オーリングなども、これを、体の微妙な反応から判断する方法です。
オーリングは、誰でも簡単に実践できる方法として、知っている方も多いかと思います。

実際に、代替療法の分野では、方法こそ少し違っても、広く応用されている原理のようなものであり、
脳科学との関連性などの 科学的研究も進んでいるようです。

例えば、ある薬が、体に合うかどうかなどを調べるには、有効な手段だと考えられます。
漢方などの微妙な配合などに、活用されているケースもありますね。

しかし、なんでもかんでも、これで正解がわかるのかと言えば、疑問が残ります。

例えば、人間関係で 悩んでいる人がいたとします。
もし喧嘩をしている相手との関係をハイヤーセルフに尋ねても、
多くの場合は、その相手に対し、よくない反応が出るのではないかと想像します。
なぜなら、相手に怒りや憎しみを感じていたり、自分のやりたい目標の妨げとなっている場合など、
拒否的な反応が出ても 不思議ではないからです。
ここでハイヤーセルフからNOと言われたら、関係を絶ってしまうかもしれません。

でも、宇宙生命の視点から見た場合は、この悩みは、過去世からの共業に原因があることがわかっており、
二人がいよいよ成長し、業を乗り越え、次のステージに進む時が来たのだと、喜んでいるかもしれません。

同じ無意識の自分であっても、
「宇宙生命」に近い私と、「個」の意識が強い私では、感じることが正反対な場合があるはずです。

そもそも人間の心とは、単純なものではなく、
生命の状態によって、常に変化していくものだと思います。

悩みに直面し、苦しんでいる私は、まさに地獄のような生命状態に包まれているでしょう。
嬉しいことがあり、喜びや幸せを感じている私は、天にも昇るような状態になっているはずです。

西洋的に言えば、天使も悪魔も自分の心にいるはずです。
さらに言えば、自分の心の中には、様々な可能性を持った、様々なエネルギーの自分が存在し、
それら全てが「自分」なのだと思います。

こう捉えた時、現実の私と、魂の私がいるという、二元的な捉え方自体に疑問が生まれます。

実際に、自称 ハイヤーセルフと繋がっている人を、客観的に見て感じていたのは、
ハイヤーセルフといっても、自分が好きか嫌いかという、エゴに忠実になっているだけではないのか?
それを魂と繋がっていると思っているだけの人が多いのでは?と思う節がありました。
なぜなら、誰もがそんなに簡単に、全体である宇宙生命の私と、意識が繋がるものではないからです。

もちろん 純粋な 自分の心、好きとか嫌いという 無意識の感情を感じることは大切だと思います。
インナーチャイルド、無邪気な子供心を持つことは、自分の正直な心を知り、
宇宙生命からのメッセージを聞く、大切な要素だと思います。

ただし、大人になっても純粋な子供心を失わないことと、
大人になっても、子供のままでいることは、全く意味が違います。

ましてや、日常的にハイヤーセルフと対話し、ハイヤーセルフに従うだけの状態になると、
思考することを放棄して、エゴに生きているような状態になりかねません。
それでは、本能だけで生きている動物と変わらなくなってしまいます。

私たちが人間として生まれてきた意味は、宇宙生命に変化を促すことです。

あえて失敗もし、悩み苦しむことも体験しながら、
自分の頭で思考し、自分自身の答えを見つけていくこと。

もちろん、本当の自分の心に問いかけをしつつ、
自分が何を望み、何に喜びをいだくかなども、感じていきながら・・・
最終的には、自分の心の意思を、決意という「意志」に変え、行動に移していくのです。

こうして、現実の自分を主体者にするから、
時には失敗することがあっても、世界に変化を起こし、それが自分の成長にもつながります。
更には、全体の生命、すなわち世界の成長にもつながる鍵となるのだと思います。

真実に近づこうとすればするほど、個としてのエゴに生きていくことになる・・・

また別の機会で考察したいと思いますが、
真実に近づく努力をすればするほど、真実から遠ざかってしまうというのも、
すべての人間が抱えている、典型的な 人類の共業の ひとつのパターンです。

ハイヤーセルフが、本当に存在するか、存在したら、どのようなものなのか・・・
結論的には、真実はわかるわけがありません。
なぜなら、科学的に証明できるものではないからです。

本質は同じものに対しても、何をどのように信じるかという解釈や思想次第で、
人は進む道、生き方そのものが変わってくることを、イメージして頂けましたか?
もちろん生き方が違うと、未来という結果も大きく変わってくるでしょう。

答えのわからないものに、答えを出すのは、自分でしかありません。
何も考えずに、答えを出すよりは、
ものごとを客観的に考察することで、より正解に近づけるのではないでしょうか?