素粒子の種類と寿命からわかること

多元宇宙統合生命論

素粒子の種類と寿命からわかること

私たちの世界を構成する、物質の最小単位を 素粒子といいます。
素粒子には、粒子の性質と、波としての性質があることから、
素粒子の集まりでできた、この世界も「普遍的に存在する」のではなく、目に見えないエネルギー的な状態から、
目に見える物質として現れている存在 なのだということがわかりますね。

今回は、素粒子の種類と寿命から「わかること」・・・そして「わからないこと」を考察していきます。

量子論は、目に見えない世界を探求する科学なため、
科学の基本である、実験や観測だけではわからないことも多く、理論とかけ合わせることで発展してきています。

そして、現実の様々な「物理的な現象」を説明できる「標準理論」が生まれました。

そこでは17種類の素粒子が予想されていました。
20世紀には次々に新しい素粒子が発見され、今では200個以上が確認されています。

2012年、標準理論で予想されており、唯一見つかっていなかったヒッグス粒子が発見され、標準理論の正しさにまた一歩近づきました。

さて、素粒子の標準模型では、大きくフェルミ粒子とボース粒子に分類されます。

フェルミ粒子は、物質をつくっている素粒子で、
強く結合し、陽子や中性子を構成するクォークと、結合が弱いレプトンに分けられます。
電子はレプトンになります。

一方ボース粒子は、光子 =フォトンなどのエネルギー的な素粒子の仲間です。

さて、素粒子には寿命があります。
寿命といっても、完全な無の状態になるわけではなく、より安定した、別の素粒子に変わっていくのです。

これを 粒子崩壊と呼びます。

例えば、物質の元となる フェルミ粒子の中の ミュー粒子やタウ粒子などは、まさに「一瞬」としか表現できない寿命で、電子に変わります。これらは、宇宙線として地球に届いているとも言われています。

一方、電子は、まだ崩壊するかどうかすらわかっていなく、永遠とも言えるような寿命であると考えられます。

ここでポイントは、素粒子の寿命といっても「崩壊」という基準を元にしているということ。
電子には、粒子と波の両方の性質があります。つまり、現実世界に物質化している状態と、目に見えない波の状態の時があるということ。これこそが量子論の基本ですね。
だから、寿命が続くイコール、物質的にずっと存在し続けているわけではありません。

もうひとつ大切な点は、これまでの標準理論は、あくまで目に見えたり観測ができる、「現実の物理的な事象」が科学的に説明できるというだけで、それが全てではないということ。
おそらく科学が進めば進むほど、科学者たちは、まだまだ解明できていない謎が多いことを実感しているのではないでしょうか?

仏教では、「有るかといえば無い」「無いかといえば有る」と、有無がはっきりしていないものを「空」と捉えます。そして現実的に「確かに有る」といえるものを「仮」と捉えます。
目に見える物質の法則は、あくまで 「仮」の性質のことであり、目には見えなくても「確かに有る」と実験や観測できたものも「仮」になります。
つまり科学で解明が進んでいる「標準理論」は「仮」を対象にしたものでしかなく、「空」に関しては、何もわかっていないようなものです。

電子の振る舞いで言えば、電子が粒子として現れた状態は「仮」になりますが、
現れていない時に、どういう性質なのかは、まだ何もわかっていないはず。「空」の状態だからです。

もちろん、様々な「仮説の理論」は生まれていますが、
何が正しく、何が間違えているかは、まだ答えを出せる段階とは言えませんね。

量子論の有力な仮説に、超ひも理論があります。
標準理論を超えた、あらゆる謎を解明できる理論として、注目されています。

超ひも理論によると、すべての素粒子は、ひもではないかと考えられています。
ひもの振動の違いで、様々な素粒子となっているという仮説です。

この理論によると、振動が変わることで、別の素粒子になることも不思議ではないですし、
高次元の目に見えない世界に存在していたものが、単調な振動に変わることで、現実世界に「現れた」ようになると思えます。

さて、スピリチュアル業界では、人の想念や意識などは、ボース粒子の光子= フォトンではないかと言われています。
もちろん量子論の仮説を元に語られているようですが、目に見えない世界のことは、まだ何が正しく、何が正しくないかはわからないと認識しておいた方がいいかと思います。

人の想念や意識は、仏教でいう 「空」であり、今わかっているものだけで、簡単に説明づけるのは、無理があるのではないかと、私は思います。

私も、人間からフォトンなどの、何かのエネルギーが出ているのは間違えないと思っています。

人の想念がフォトンとなって、遠く離れた人にも届く・・・
そしてフォトンには 永遠ともいえる寿命があるから、人の意思も、輪廻を超えて永遠に残り続ける・・・

確かに、とても素晴らしいことのように聞こえますね。
しかし、人の発する想いは、美しいものばかりとは限りません。
今の時代こそ、戦争は一部の地域でしか起こっていませんが、人類の歴史では、争いや戦争ばかりだったはず。どれだけ多くの人が、他者を恨み、憎しみ、無念の心を発していたことでしょう。
そう考えると、想念が永遠に残ることは、決していいことではありません。

仏教では、この世界は「常に変化し続ける」ことを強調されています。
人間は弱くて、間違えも起こします。でも間違えに気がつき、心を改めて新たな自分を生きることができます。
つまり、瞬間、瞬間、リセットできるからこそ、未来が創れるのだと思います。

科学の世界では、
今後も新たな素粒子が次々に見つかることで、標準理論を超え、先に進んでいくことが期待されています。

量子論の誕生により、19世紀以降、驚異的に科学が進歩したのは 間違えありません。
とはいえ、目に見えない世界への科学的探究は、まだまだ入り口にさしかかった段階です。

もちろん、様々な理論、思想的な観点からも、真実に一歩一歩近づいていくでしょう。

でも、目に見えない世界を「科学的に証明されているから」との断定的な言葉は、鵜呑みにはしないように。
もちろん、正しいものもあると思いますが、
量子論の様々な仮説を引用すれば、どんな怪しい現象でも「説明はついてしまう」ということも忘れずに。

量子論でわかることも多いけれど、「わからないことの方がまだまだ多い」ということを踏まえた上で、
自分なりの「正解」を探し求めてもらいたいですね・・・。