ソウルメイトとの共業とは

多元宇宙統合生命論

ソウルメイトとの共業とは

有るかといえば無く・・・
無いかといえば有る・・・

「有」「無」 の概念を超えた 目に見えない世界・・・
私たちの心の世界は、このような不思議な存在ですね。

そして「心」と同じように、目には見えないけれど、確かにあると疑いようがないもの。
それが、人と人との縁、他者との絆です。

「運命の赤い糸」という言葉がありますが、
まさに人と人の縁は、見えない糸のようなもので繋がっている・・・
そう感じることはありませんか?

この現実世界は、人間の「意思の力」で創られた世界 だと考えられますが、
人はひとりではありませんね。

すべての人類・・・ 遥か遠い過去からの 人の生命・・・
動物や植物などの生命体から、動かない無機物まで、
これら全ての「生命」が、複雑に、それでも調和をとりながら統合され、
まさに無数の糸が織りなすように繋がって、
この現実世界を創っているのです。

私たちが、今の人生において 出会っている人たちとは、
たまたま出会ったわけではありません。
幾代もの過去世を、立場や形は変わっても、出会いと別れを繰り返し・・・
今、この人生で、出会っているのですね。

きっと何かの使命を、共に叶えるため・・・
何かはっきりした目的を持って、また出会っているはずです。

ユング心理学においては、無意識の底に、集合的無意識という人類共通の記憶のようなものがあるとされます。
例えば、誰もがヘビなどの爬虫類を 恐れ嫌うのは、人類が過去世で 恐竜から受けた恐れが 記憶の中に残っているからではないか、というように・・・。

心の中では、すべての人が繋がっていることを示唆する、重要な科学的な見地といってもよいでしょう。

仏教では、私たちの生命の 阿頼耶識に、過去からの全ての「結果」が、「業」という形で貯蔵されていると説かれています。
この「業」が種となり、現実世界という「実」を実らせます。
だから善い行いをしたら、善業を積み、未来に幸福という実がなります。
でも悪い行いをしたら、悪業を積み、未来に試練や悩みが訪れることになるのでしょう。

業とは、一人で積むだけとは限らず、他者と共に積む場合がほとんどです。
これを「共業」と呼びます。

人類は、太古の昔より、争いを繰り返し、自然を破壊してきました。
これらは人類全体の共業として、私たちの生命に刻まれているはずです。

今の人生で出会っている人々も、程度の違いがあるだけで、過去世で一緒につくった 共業があるのでしょうね。
例えば日本人全体が、他国に比べても自然災害と隣り合わせであったり、社会から共通した不安を感じているのも、同じ共業を持っている結果でしかありません。

私たちは人生において、特定の誰かに苦しめられたり、あるいは敵となることもあるでしょう。
これも、過去世で強い縁があった関係であり、共につくった共業の結果です。
この相手とは、立場が違うだけで、同じ「業」を持っているはず。自分が逆の立場になる可能性もあるはずです。

だから、その意味に気がついて、業を転換しない限り、また未来世で繰り返すだけなのです。未来世で同じように苦しめられるか、逆にこちらが苦しめる立場になるかの違いだけでしょう。

ソウルメイトとは、過去世からの縁が特に強い関係です。
何か同じ課題を持って、輪廻を繰り返し、何度も何度も出会い続けています。

ソウルメイトには明確な定義はありませんが、
人生のどこかのタイミングで、心が思い出す場合があると思います。
言葉にならないような感情が、その人との記憶を思い出したことを告げてくれるはず。

人生のパートナーがソウルメイトだった場合は、出会った時に、不思議な感情を感じるかもしれません。
親子の場合は、「親と子」という現実での関係が先にくるので、すぐにはわからないでしょう。それでも、いつかどこかで、お互いの関係を思い出す為の、特別な体験があるかもしれません。

いずれも思い出すのは、思考ではなく、無意識から沸き起こってくる感情だと思います。

そして思い出した後は、それを確信付ける出来事が、重なるように起きてくるでしょう。

ソウルメイトとは、言い方を変えれば、特別に大きな「共業」を抱えている関係です。
だから、現実世界で幸福感だけが続く関係とは限りません。
なぜなら、何かの試練を一緒に越えると約束した関係だからです。

私たち人間の生命は、宇宙生命と同一です。
宇宙生命を広大な海に例えた場合、私たちは波のような存在。
波は海そのものです。海の「働き」についた名前でしかありませんね。

ひとつの波は、同じ共業を背負い、同じ時代に生まれてきた人々のようなもの。
この人生で出会う人々を、波頭と捉えたら、
ソウルメイトや家族という特別な存在は、飛び散るひとしずくの 「波飛沫」のようなもの。
自分と同じ使命を持った、自分と同じ生命そのものです。

もし仮に、共業の試練に出会った場合・・・
その試練から逃げてしまい、生命の課題を達成できなかった場合は、
未来世に持ち越してしまうだけでしょう。

もちろん誰もが「共業」の意味に気が付くわけではありません。
そもそもソウルメイトが身近にいても、思い出すとも限りません。

でも、誰かひとりが思い出せばいいのです。
気が付いた一人が、自分の「業」を乗り越えていく過程の中・・・
瞬間の生命の中に、新しい世界を創り出すことで、
希望の未来を拓くだけでなく、同時に過去をも変えてしまうのです。

つまり、共につくった「共業」の原因すらも変えてしまうことを意味します。

もちろん、時間軸のある現実世界に変化が現れるまでには、時間がかかるかもしれません。

でも、共業を変えていくのは、意味に気がついた一人でいいのです。
なぜなら、ソウルメイトとは、宇宙生命という全体の生命の中でも、
自分に最も近い、まさに「自分と同じ生命」の持ち主だからです。

そして、その先へ・・・
なぜ、ソウルメイトとして、幾代もの人生を繰り返し、
永遠の時を一緒に生きていくことになるのか・・・

もし私たちの生命に、始まりの時というものがあったなら・・・
その時に、共に誓い、共に約束した、根源となる「生命の使命」があるはず。

ソウルメイトとして共に受ける「共業」の試練も、
それを乗り越え、元初の約束を思い出し、新たな生命のステージに進むためのプロセスでしかありません。

大切な人との絆とは、
目に見えない人との「縁」とは・・・

私たちが感じている以上に深く、尊いものなのでしょうね。